買い占めた

連射王のことです。友朋堂には2冊ずつしか入荷しなかったという情報も得て、本が買っていったので、するとあと1冊しかなく。だったら、無くなっていても仕方ないか、重版待つしかねーか。とか思っていました。
 そして今日、改めて友朋堂に行き、そういえば単行本だったっけと思い、無いだろうなー、と思いつつ単行本が売っているとこを見てたら、置いてありました・・・。うちら辺では、川上信者は、俺と本だけだったようです。置いてあるのを見た時、心の中ですげー笑った。

そして、やっと修論に終わりが見えた。あと1章、関連研究を書けば、初稿が終わる。
 実は一番大変なのはこれだったりする。なぜなら、関連研究は全然調べてないからである。つうかね、参考にできるような研究ないの。自分でプログラミングしている時に改善したいなー、と思ったのを研究ネタにしてるから。
 この感覚は、たぶん、プログラムをガリガリ書いてる人にしかわからなくて*1、そういう人は理論と結びつけてやろうと思わないし、理論の人は実際のプログラミング(数万行いくようなもの)しないわけで。結果的に、やってる人がいないんです。いや、そりゃもちろん世界の研究を隈無く探せばあるでしょうけど。
 なので、関連づけられそうな研究をこれから探します(爆) 一応、アタリはついているので、いくつか論文軽く読んで、サラサラっと書こうと思われます。
 でも、良いですね。この境界をやってる感じはw 理論と実践の境界が一番楽しいw 研究者になってたら、ずーっと境界のことをやっていて、理論にはならないし、実践で使うにはちょっと弱いみたいな微妙な研究を沢山してたでしょうね(爆) 今やってるように論文にするのは、本当に大変ですが・・・。

んで、今日修論書いていて、気づいたことがあります。ゼミ資料とかを先生に見せると良く、もっと論文らしく格調高く書いて、と言われるんです。できるだけそうしようと思うんですが、自分にそういう引き出しが無いんですよ。それで気づきました。
 俺、日本語の論文読んだことないや・・・。
 プログラム理論のメッカは、もちろん、アメリカです。なので、全部英語です。日本人のプログラム理論研究者も、できる人は一度はアメリカの研究所で研究してたりとか海外経験者ばかりなので、みんな英語で論文書くんです。そうなると結果的に、日本語の論文に触れる機会が全然無いわけで・・・。
 なんか、同じ研究分野じゃないやつでも良いから、文調だけでも頭に入れるために、日本語の論文を読んでみようと、今更ながら思いましたとさ。

*1:学校内の発表時に、8割の人に、それをやる意味あるんですか? と感想シートに書かれましたw